【ToO #4】羽鳥和重(後編) ~世界一の地図を作ろうと思って~

Top of Orienteering 第4回は前回からの続きで羽鳥和重選手へのインタビュー。Top of Orienteering 最新記事はオリエンテーリングマガジンでもご覧になれます。

————————————

前回MTBOに取り組むシビアな姿勢と世界で戦うための覚悟を次々と語ってくれた。しかしなぜMTBOの取り組むことになったのか?そしてそれ以前の選手としてのキャリア、さらにマッパーやEMIT協会など裏方としての実績も多数持つ彼のことにとても興味が湧いたので引き続き話を聞いた。(後編 取材日2015/8/31)

MTBO世界選手権ウェブサイトより

MTBO世界選手権ウェブサイトより

オリエンテーリングがブームだった少年時代

―(前回の続き)過去の話も出てきたので昔の話をちょっとお聞きしたいのですが、そもそもオリエンテーリングを始めたのはいつごろですか?

もともとパーマネントコースを小学生の時に回っていた。愛知県は盛んだったので。新聞などにもオリエンテーリングの大会が出ていて、それがきっかけ。当時は流行っていたのでオリエンテーリング。で、100キロコンペとかも記録を出していて、シルバコンパスも自分で持っていたし。それで大学入ったら早稲田のサークルでオリエンテーリング、早大OCがあったから入ったんです。

―その当時は競技会には出ていなかったんですか?パーマネントコースめぐりが中心で?

何回かは出ていましたけど、グループでしか出ていなかったですね。個人では出なかった。ちなみに当時個人で勝っていたのは落合公也だったというのは後で調べて分かった。当時は1人で走って勝つ子がいるんだぁ、なんて思っていたけど、後でそれが彼だったと知って愕然としたりね。

―パーマネントコースを走ろうと思ったのはなぜですか?地図が好きだったからとか?

いや、全然普通にみんなオリエンテーリングやっていました。ブームだったし、愛知は多かったし。家の周りでも定光寺が近くて、尾張三山っていうコースもあったし、中央線沿いにはいっぱいあったし。愛知、三重、岐阜はほとんど行ったんじゃないかな。その頃はパーマネントコース行ったら人がいっぱいいて、ポストポストで家族連れが弁当食べているという時代だったから。

ま、コンタとかは全然読んでいなかったけど、道だけで全部回れたので。よく回れたなって思うよ。

―そうですよね、始めたばかりのころを思い出すとよく行けたなって思います、僕も。

高いところか低いところかという情報さえ読んでなかったからね、道だけで回っていたからホントすごいなって思うよ、今思うと。

タバコも吸っていた大学時代

―で、大学入って早稲田に入って本格的に競技としてのオリエンテーリングを始めた。当時の早稲田は屈指の強豪でしたよね?どのような学生時代でしたか?

一番強かったですね、インカレ優勝回数も多かったし。でも僕は大学3年でタバコ吸っていたし、どうだったかな。速かったとは思いますけど、技術的にはすごく他の選手よりもあったし。当時はとにかく地図がぼろぼろで難しかったというのもあったけど、そういう泥仕合みたいなレースでは必ず勝つという評はあったと思います。例えば大学2年の時の愛知インカレ(※5)なんかでは前が見えないくらいの霧が出てて、当時僕はエリート出てなかったけど、一般クラスも4クラスあって400人以上出ていて、他の選手より1割くらい速かった覚えがある。

―先ほどの言い方だと4年になるときにタバコを止めた、ということですよね?

そう、当時同期に前野っていうのがいて、彼は陸上部出身で、大学3年のときにサン・スーシの大会かどこかでカッシー(※6)と同じタイムで走るんですよ。当時のカッシーは高校1,2年くらいだったと思うけどもう速くて、そのカッシーがものすごく驚いていた印象がある。僕もそのレースでベストレースだったけど彼らに多分10分くらい離されて、これは全然だめだ、タバコなんか吸ってらんないと思ってやめて、インカレ優勝だけをターゲットに。

―個人戦を目標にしたと?

個人も団体もですね。でも個人はちょっと難しかった。当時、一番速かったのは井上健太郎、前野、それから伊東真一、丸山哲史、飯塚靖ってのが揃いも揃って速くて、僕は最後6位だったけど、その5人には勝てなかった。井上とか世界選手権のセレクションで当時の速い村越真に勝っているくらいのレベルだったんで、丸山も同じくらいだったし、当時の学生のレベルってみんなナショナルチームレベルだったので厳しかった。衰えかけていた山岸倫也よりも速くて、日本で2番目だった稲葉さんと同じくらいで走っていた。

ちなみに僕は6位、公也は7位。ま、それは全然どうでもいい話だけど。で、それでしばらくはダメな期間を過ごした。

世界に憧れた青年期

―大学卒業後の進路は?

大学院に進んで、ヨーロッパに3か月行って、帰って来て速くなった。

―なぜヨーロッパに行こうと思ったんですか?もっと高いレベルを目指したい気持ちがあったから?

うん。でも今思うと単なるマニアだったかもっていう気がしますけどね。

―世界選手権を目指そうと思った?

89年の世界選手権で衝撃を受けたので。スウェーデンで世界標準のオリエンテーリングになって、予選決勝になって村越真が予選を通過して、決勝でも50位以内になって、ああすごいなって思った。でもあの頃は東側の国があまり参加していなかったから予選通過60位のレベルは今よりはだいぶ楽だったとは思うけど。

―でも羽鳥さんは代表選手にはなれませんでした。

なれなかった。93年とかはなってもおかしくなかったと思うけど、セレクションで下手をして。まぁ、実力がなかったってことだけど、もっと足をもっていればよかった。でも今の学生よりは走っていたと思いますけどね。

―どのくらい?

年4000キロはいってたんじゃないかな、3600キロは絶対行っている。

自分でちゃんとしたマップを作るしかない

―しかし結局夢は叶わず、そのあとどういうことを考えていましたか?僕がオリエンテーリングを始めた2000年前後は羽鳥さんは32歳でしたが、当時の僕らにはマッパーの人という印象がありました。

そうそう。でも2001年くらいまではまだまだ速くて90年代の優勝回数なら村越、鹿島田、僕と加賀屋で3番手だった。でも2000年に富士でワールドカップの開催が決まって、そのマッピングすることになり、マッピングにのめり込んで、そこでフットのキャリアが終わった感じではある。

―なぜマッピングにのめり込むことになったんですか?学生のころからよく地図を描いていたとか?

いや、それはね、理由は1つで、その日本代表セレクションレースで、まったく地図が違いすぎて僕は勝てなかったんですよ。こんなマップでふざけんな、ヨーロッパ言ったら絶対俺のほうが速いのにってすっごい腹立たしくて、こうなったら自分でちゃんとしたマップを作るしかないって思って、日光だったかなインカレマップを山川さんたちと4人くらいの少人数で作ったのがちゃんとした競技用のマップをリリースした最初で、それが好評で、常磐インカレで山川さんが体調を崩したこともあって僕がほとんど1人で調査して作ったりした。それからペローラ(※7)を連れてきたのが大きかった。

―ペローラも羽鳥さんが連れて来たんですか?

きっかけはなんだったかな?今はよく思い出せないですね、正確には、えーっと、ああそうだ、僕がシンガポールで地図を作ったんですよ。

―オリエンテーリングのマップを?

そう、僕がシンガポールに1週間いて作ったの。WWOP(※8)がニュージーランドでマスターズ兼ワールドカップをするときに、途中経由地のシンガポールに地図が欲しいっていう話があって、で僕たまたま親戚がシンガポールにいたので1週間滞在して作った。それでWWOPとの関係ができて、ペローラが極東で地図を作りたいと言ったのか、僕がマッパーを欲しいと言ったのかは覚えていないけど、ワールドカップのためにペローラを投入した。ペローラはもうとても有名で、スウェーデン人のオリエンティアの友人に聞いたら誰に聞いてもペローラがスウェーデンで一番マップを作っているっていうから「それはすごいマッパーがいる」と思って、一緒に地図を作って一気に自分のレベルを上げた。それで弘太郎(※9)が一緒にいてくれたおかげで、その3人チームで世界一の地図を作ろうと思って。

当時ISOM2000が出たばかりでそれに合わせた一番いい地図を作りたくて、実際IOFのMap Commissionの評価は最高級だった。それで2005年愛知での世界選手権でもいい評価もらうためにものすごく調査して、150日くらいやっている。ワールドカップは60日、ワールドゲームズの秋田は20日くらいかな。で、そこでマッパーのキャリアはもういいかなって思った。

スキーOからMTB0へ

―世界選手権で一区切り、と。

そう。と言いつつ、その後も結構やってるけど、いろいろ。で、2007年にナショナルチームのスタッフに関わったんだけど2008年のごたごたで辞めて、その直後からスキーOに取り組んだ。

2009年の北海道での世界選手権のために結構スキーをやった。でも選手をやっている暇はなさそうだったので、善徳(※10)のサポートをずっとやっていた。彼は同じ埼玉県だったし、一緒にトレーニングして、2009年までは彼と一緒に暮らしていた。で、そこでスキーも一段落ついたので、MTBを2004年に買って持っていたので、じゃ次はMTBOやろうかなって。

―なぜMTBOやろうと思ったんですか?

なんとなく。やっている人たちいるしやってみるかな~って。全然理由はないと思う。高島(※11)が当時スキーOをやりながらMTBOもやっていて、誘われたのもあるかな。当時MTBOの主流はオリエンティアではない人たちがやっていたんですよ。でそれもあって最初は代表選手ではなかったけど、2009年のイスラエルの世界選手権に一緒に行った。

それで併設クラスに出たら圧倒的に優勝して、併設と言ってもオフィシャルばかりのレースだけど、MTBOのオフィシャルって当時はフットやっていた人たちでみんな知り合いだった。それからスキーOの選手もMTBOやっていたので、しゃべる相手がいっぱいいたので、なんかやってみるかなと思って帰って来てMTBのJシリーズっていうのに出てみた。エントリークラスだったけど120人出てる中で10位に入れた、これはホントたまたま良かったんだけど、それがきっかけでMTBにのめり込んだ。で、最初こそそんなにやってなかったけどここ4年くらいはずっと踏んでる。最初は長くこいだりしてたけど、今は何も考えず100%全力でやるようになった、と。

10-2

オリエンテーリングは難しくなりすぎている

―(前回)自分のために踏んでいるという話がありましたが、一方でJOAのMTBO委員長にも就任されました。組織的には今後どういう取り組みをやりたいと考えていますか。普及や強化の話題は常に課題に挙がります。

難しいですね。ほんとはいろいろやりたいんだけど時間がないですね。正しい答えになっているかどうかは別にして今年の世界選手権でIOF会長のブライアンと一緒の宿になって話す機会が何度もあった。彼はオリンピックに一番期待しているのはスキーOがもちろんなんだけど、フットにはものすごく問題があると考えているようだ。世界選手権が2年に1回になってしまったこともあるし、人も減っているので。

―人は減っているんですか?

減っています。スウェーデンで横ばい、他の国は減らしている。オリエンテーリングは若者にとって魅力的なスポーツではなくなってきているようだ。で彼はMTBOには実は可能性を感じている、と。なぜフットの可能性を感じないかというと、世界選手権を開こうと思うと規模やテレインの問題があって二流国で受けるのが難しくなっている。大国しか引き受けられない。

でもMTBOだったらまだ多くの国で開催することが可能。多くの国から参加してもらうことはもちろん、メダルのシェアを多くの国に伸ばすチャンスもある。たとえば近年のポルトガルがまさにエポックメイキングだけど、そういう状態にあることはIOFがIOCへオリエンテーリングの魅力を訴えやすい点だと。

お金がかからない点はもちろん魅力の1つ。IOCもお金がかからないスポーツを入れないとオリンピックの開催国がなくなってしまう、今度の東京だって大きな問題になってるけど、都市が破たんする。安くできて人気のあるスポーツを作らないと難しくなる、だからオリエンテーリングにはチャンスがあると。だからMTBOはもっと簡単に、わかりやすくなっていくと思う。

―ナビゲーションのレベルを高度化させないということ?

そう。フットもそうなっていくと思う。スプリントも人気を高めることにはならなかったので、もっと走る競技に振っちゃうとかしないといけない。オリエンティアが考える理想像は外の世界にとっては魅力的なものになっていないのでもっと外の視点が必要で、来年はマーケティングのコンサルを入れていくと言っていた。ここで新しい一歩を踏み出さないとオリエンテーリングは落ちる一方だと。オリエンテーリングは難しくなりすぎていると。

―MTBOは魅力あるスポーツになるチャンスが大きいと?日本もその流れに乗れるでしょうか?

そう。人口は増やしている。僕のもう一つの目標は来年のマスターズで金を3つ取ること。50代のカテゴリなら走力的には世界で一番速いので、MTBOにおける日本のプレゼンス、日本の中でのMTBOのプレゼンスを高めることが目標。もちろん世界選手権のあるポルトガルで30位以内に入ることも。他の中堅国の選手たちも、僕が30位以内に入っても誰も驚かないと思うし。

年齢が49歳と言う事実は残念だけど、残念なだけで意識はしていない。トレーニングしても伸びにくいのは確かなので。あと会社の仕事もこの年齢になるとすっごいきついけど、それだけのこと。

―MTBOはお金がかかるという側面もありますが?

かかりますね。単価が違うから。フットなら靴が2万円しないくらいで2年くらい使うこともできる。でもMTBなら靴だけで4万くらいして1年で交換、パーツに至っては何十万するものもある。MTBは機材とロジスティクスに大きな問題はある。でもMTBはお金がかかる分スポンサーを取りやすいというものもある。

いずれにしても、だからこそ簡単にするべきという話にもなる。お金かけて練習とかしなくてもいきなり大会に出て右か左かを楽しめるくらいのコースを提供したほうがいいんじゃないかと思ってる。ポーランドでの世界選手権なんて25分ウインニングで30個以上のコントロールがあるコースで、フットで走ったほうが速いだろって。こういうコースをMTBOで出すのは意味がわからない。

EMITを扱っている理由

―羽鳥さんと言えばEMIT協会の人と言うイメージを持っている人も多いと思いますが、EMITを扱うようになったのはなぜですか?

初めて扱うようになったのは95年かな。94年に初めてワールドカップで使われて95年にIOFに認可されて、それを日本の導入しようとして、何人かでお金を出し合って買ったんですよ。でも買ってはみたもののパンチ台とかもなく、メンテもできず、どうしようってなってて、じゃあ僕がプロモーションしますって言って引き受けたのが最初。

山川さんたちにも出資を頼んで日本学連に依頼して投資してもらい、その分利用料で還元して10年くらいはずっと学連にかなりの割引で出していた。そういう経緯で今もやっている。

EMITは新しい機材が実はいっぱい出ていて、タッチフリーも新しいのがある。タッチフリーはオリエンテーリング以外ではよく利用されていてランニングやスキーのイベントでは使われていてむしろそちらが主流なくらい。でもオリエンテーリングの世界に持ってこようと北欧を中心にここ数年何度も試されているんだけど結局メンテや設定が面倒だったり、パンチしたしないの問題が消えることはなく結局主流にならないので日本には導入はしていない。日本以上に物価が高いノルウェーから輸入するので儲けはまったくないけど、安価なEMITを安定的に供給しているという点では役に立っていると思う。

毎日30分、毎日EMITを洗ったりとか補修したりとかの作業もしている。

―洗うのは借りた人がやることでしょう?

そうお願いしているんだけど、学生とかはけっこう臭いまま返してくるんですよね。今の時期(8月)なんて最悪ですよ、3日経って帰ってくるとカビが生えていることもあるので、なんだこれって。次貸し出すのにこれじゃ悪いと思ったら、一緒に風呂に入って洗って、拭いて、箱詰めして、アングルも洗ってっていうのを日課としてやっている。僕のライフワークですよ、楽しい楽しいライフワーク(苦笑)

でもまぁ学生に対して安価に供給できている点ではいいんじゃないかと思ってます。EMITをより効果的に使ってもらうためにラップ解析を考え出して、それを的場さんにいろいろ作ってもらって使いやすくして、アングル含めたトリ式パンチ台も用意して、広く普及した。世界でも電子パンチ導入の成功例の1つだと思います。パンチ台も評価が高くて海外からも売ってくれと言う引き合いがあるし、EMIT本社からは「ある国に紹介したいんだけどどうしたらいい」っていう相談がくるぐらいだから。誰かやってくれるって言ったら引き取ってもらってもいいんですけどね。

―そういう気持ちもあるんですか?

まぁでもいろいろノウハウもあるんでそんな簡単にはできないかもしれないけど。

―ちなみにプロモーションを引き受けたのはどんな理由から?

とにかく電子パンチ使わなくちゃオリエンテーリング上手くならないと思ったから。コントロールカード使っていた頃はフラッグ見つけてパンチして、それから顔上げて次を向く、っていうのだったけど、電子パンチだったらフラッグ見つけたらもう次の方向を向けられる。オリエンテーリングのやり方が全然違う。

それからすべてのコントロールでタイム取って比較ができる。それまでは時計でそれぞれ取っていたけど、みんないい加減で、結局定性的に話をしていたんだけど、それじゃ速くなれないよと。タイムをとってラップ解析を入れたことで自分の走りを定量的に測れるようにしなければと思ったのが動機です。これが必要だと思ったからです。

―すべては世界標準のオリエンテーリングを日本で実現するためというモチベーションだったのですね。本日は長い時間ありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。今日は特別にトレーニングを休んだので明日からめっちゃ漕ぎます!

今僕たちは当たり前にオリエンテーリングを楽しんでいるけれど、ここに達するまでにどれだけの苦労があったのか、より多くの人に知ってもらいたい。今後もガラパゴスなオリエンテーリングにならないためには彼のようにグローバルな視点を持った人物がもっと必要になるだろう。

※5 第9回インカレ(1986年度)
※6 鹿島田浩二選手
※7 Perola Olsson、スウェーデンのプロマッパー
※8 ワールドワイドオリエンテーリングプロモーション。文字通り、オリエンテーリングを世界に普及させるべくオリエンテーリングツアーなどを企画したスウェーデンの団体。
※9 中村弘太郎氏。
※10 高橋善徳選手
※11 高島和宏氏


▲ページ上部へ戻る