筑波の5年 (その3、2001年7月15日受信)
鈴木康史

6.顔を出さなかった言い訳

春、夏はほとんど学生たちと顔を合わさなかったように思う。
顔を出したのは、セレクションなどの重要なレースの前の「対策ミーティング」、 その当日、終わったあとの「反省ミーティング」といった行事のみであった。 おそらくは必要なんだろうなと思いながらも、毎週ルーチンの「体トレ」や 「スピトレ」にはぜんぜん顔を出さなかった。

この原因は僕の怠慢からくるものではあったが、助手として勤務、 研究をしていると、午後5時からの研究室に拘束されない時間は図書館で (気兼ねなく)過ごすことができる時間となり、そちらを優先せざるを 得なくなった面もある。(そういえば、図書館では良くさとけんと 高野に会ったな。)

だが、そういう現実とあいまって、そこにはある種の期待もあった―― まったく新しいオフィシャルのあり方に向けての期待が。 こうあるべきオフィシャル像なんてどこにもなくて、 お互いが関係の中で作り上げるものなのだとすれば、 ぜんぜん姿を見せないオフィシャルも、あり、の可能性はある。
問題はそれで結果が残せるのか、ひとえにそれだけであって、 そして結果を出すのは自分自身(つまりは彼ら自身)でしかない―― これは僕の思考の基本――と、ある意味徹底的に冷徹に考えている僕にとっては、 僕の「不在」によってどうこうなるチームなど、はなから相手にする気もなかったのである。

おそらく、もっとも優秀なオフィシャルとは、決定すべき事項 (おそらくはインカレエリートのメンバーのみ)を最終的に責任持って決める、 それだけで結果を残せる人なんだろう。そしてそのためにも、オフィシャルはある意味 「外部」に位置すべきだ。オフィシャルの決定権は、ヴィトゲンシュタインではないけれども、 不可視の外部からやってくる以外にはない。たとえばインカレメンバーをセレクションのポイントで決定する、 という基本方針はこの反映だった。常に一緒にいて、選手をよく知っていることは、 選手の指導には有効ではあろうが、メンバー決定には予断やさまざまな逡巡、 いわゆる情を紛れ込ませる可能性もあり、何より問題は、 選手自身がそういうコーチの心中を知ってしまっているということだ。

このとき選手には必ず何らかの甘えが生じる。それはほんのちょっとしたスキであるが、 しかしそういうスキこそが決定的な場面で決定的な結果の差になって返ってくる。 大事なところで勝てない人は、このスキがある人だし、 そしてスキがある人に限ってそのスキに気づいていない。 (いや、常に人にスキは生じている。勝てる人とは、 ひとつでも多くのスキに気づけて、それを直せた人なのだろう。)

だから、むしろ遠く離れたところから、どうにもならないものとしてやってくる 決定についてのほうが有効である場合もある。なにより選手の努力の向かう方向を 一点に集中することが可能なのだ。やるべきことが明確になり、 集中すべきことが明確になり、言い訳する余地がなくなり・・・

こうしたことは、年度始めからの目標だった。そしてたまたま僕はあまり顔を出さなかった。
努力をすれば顔を出せただろう、と言われれば、それは否定しないが、 ある意味こうした効果も期待してはいたのである。僕にアピールするためには、 セレで結果を残すこと以外ないということ。いくら体トレに毎回出席していても、 セレで負けたら意味がない。僕は誰がよく出席しているか知らないもの。 僕があまり大会に行かないから、大会ごとにいい成績出しても僕に対してポイントは稼げない。 セレで勝つしかない。そういうことだった。(いや、そもそも、 僕にアピールするという表現自体も問題だな。)

 こういうことを言い訳に、現実問題として、僕はあまり顔を出さず、 その結果、佐々木が足が速いということを知ったのも、増田が故障が多いと知ったのも、 夏休み前ぐらいだった。こういう、基礎知識に欠けるという弊害も出てくる。うーん。 だがこれも、そんなものだと思い/思われてしまえば、たいした問題ではなかった。 コーチとはなるべく一緒にいるほうがいい、なんていうのは、 やっぱり必ずしも常に正しいわけじゃない。一緒に走ることが常に良いわけでもないのだ。 藤城が「あまり姿を見せないとカリスマ性が高まるんじゃないですか」と言ってくれていたが、 まあこれが、すべてを言い尽くしてるのだろう。「ぼろが出なくて良かった」ということ。

 おそらくは、すべてはやり方次第、ということなのだろう。 おおまかな計画性を持った結果オーライ、メタレベルから見た結果オーライ、 これが僕のすべてを貫くメソッドであるようだ。大まかな方向を決めて、とにかく動き出す。 目標に正しく向かっているかどうかは常に確認し、フィードバックし続け、 できる範囲内で最高の努力をする。決して、動く前に考え込まないこと。 完璧な計画を立てようとしない。それでは一歩が踏み出せない。踏み出してから考える。 そのかわり大まかにしか計画を立てていないということを知っておく(メタレベル)。 さらにそのかわり局面ごとにきちんと目標との差を測り続ける。

 このようなやり方が実は自分自身のオリエンテーリングスタイル、 そして生活態度まで全体を貫くスタイルだったのだ、と気づいたのは、 去年のコーチングの中においてだった。昨年一年の僕自身の最大の収穫は、 実はこういう地平、すなわち、オリエンテーリングでのプランニングから その実行にいたるプロセスはその人自身の行動様式からは逃れていないと いうことに気づいたことだった(当たり前か?)。それは、僕が今まで 知らなかったスタイルを持つ学生たちと話していく中で、自分自身のスタイルが 今ごろになってはっきりとしてきたことから来る。今ごろに、だよ。遅すぎ。 このぐらいわかってれば、ドイツでも失敗しなかったのに・・・。

だが、それは仕方がないことかな。精神的な成熟は、どこかに書いたように、 やはり時間が経たねば無理な側面を持つ。僕はもともと引っ込み思案だが、 横着で、なぜか楽天的な少年だった。何とか引っ込み思案なところを直そう としているうちに行き着いたのが、こういう考え方であったのだろうし、 それは逆にオリエンテーリングを続ける中で培われ、それをやめることで 明確に対象化されたものなのだろう。うーん、人生。


7.カルチャーショック

 昨年度はそういう意味で、僕にとっても一つの大きな収穫であった。
 そしてそれを促してくれた、異質な学生たちとの出会いというのは、 具体的にはレースアナリシスから始まった。昨年度の最大の驚き、 愛好会に対するカルチャーショックは、彼らがレースアナリシスを書いていないことだった。 もういつのミーティングだったかは忘れた。何かの反省ミーティングだっただろう。 ちょうど去年の今ごろだったのかなあ。ショートセレ?もっとあとのプレセレだっけ?

僕は、藤城や高橋がいろいろやっていることを知っていたので、 当然のごとく後輩たちもちゃんとアナリシスを書くように指導されているのだろうと独り決めしていた。 しかし、現役学生の誰一人として、アナリシスを書く習慣を持っていない、 いや、それどころか、今まで書いたことがないという4回生までいる始末である。 これには驚いた。と同時に困った。なぜなら、アナリシスを書いても、 見てくれる上回生がいないから。つまりは、アナリシスのことがわかっている人間が僕しかいないからだ。 アナリシスを書け、こう命令することは、つまりは僕がすべてを 見てやらないといけないということになる・・・。これはじゃまくさい、正直。 けどこればっかりは何が何でも必要だ。だから命令した。


8.アナリシス

 こうして僕は、多数の学生たちのレースアナリシスを添削することになった。
 自分のオリエンテーリングを語ることでも困難であるのに、他人のオリエンテーリングについて 「言葉」で語ること、理解させること、これは非常に難しい。 しかも、人数が多い。京都では、限られた数人の弟子を見てやる方式が中心であったため、 これははじめての経験であった。

これだけ数が多いと、正直、前回何をアドバイスしたのかはぜんぜん覚えていられない。
しかも、それぞれのランナーはみな違った表現、違った言葉、違ったリズムで彼らのレースを記述する。 アナリシス添削の基本は、まずは彼らの言葉の波に乗って、彼らと同じリズムに自分が入って、 その中で自分なりに彼らのレースをイメージし、再構成し、仮想体験し、自分と彼らと比較しつつ、 彼らに足りないところを自分の中から見つけ出す、そういう作業である。 これにはかなりの集中を要する。そうしないと彼らの本物の弱点は見えてこない。 ここはこういうルートをとるべきだ、とか、この尾根をチェックすべきだ、 といった表層ではなく(これなら自分でも気付けるし、大会会場で友達と喋ってればわかる)、 さらに一歩踏み込んだ深層の、本人には気づき得ない無意識的なレベルまで、 こうすることで入り込むことが可能である。

一度に多数の異なったリズムに自分を合わせていく作業は非常にたいへんだった。 もとよりリズムもへったくれもないアナリシスもあるし、 まったくリズムがあわないアナリシスもあった。それは僕のキャパシティの限界だった。 見れば見るほどそのキャパシティは増えてゆく気はするが、しかし、 あるひとつのスタイルを自分自身追及してきた以上、そこに汎用性がないのは当然だろう。 だがもちろん、何人かのアナリシスは、僕と相性が良かった。リズムがシンクロすれば、 何が悪いかを奥底まで見通す力は、それなりに持っているつもりである。そういう場合、 僕の分析のメスは恐ろしく深いところに届く。自分でもこれは誇れる。

一番弱いところ(本人がごまかしている部分)をずばりと指摘される、といった感想を何度か聞かされた。 たとえば塩田は、そのあたりが非常にうまくいった例だろう。 彼女が一般的に持たれているイメージとは裏腹に、彼女は決してオリエンテーリングが下手ではない。 ライバルだった上松は、非常にうまい選手だったが、別の意味で、塩田の能力は高かった。 問題はそれをいつ出せばいいのか、いつどう使うのか、が分かっていなかったこと、 そして走れるものだから、技術の問題に正面から向き合わず、足に逃げていた結果、 相対的に技術力が低いと思われていた、そういうものだった。 そして、アナリシス添削での大きな敵は、こういう一般的なイメージだ。 ちょっと名前が知れてくると、オリエンテーリングの世界のプチ評論家、 プチコーチが分かりやすいカテゴリーに選手をはめ込んでいこうとする。 走力派、技術派・・・巡航スピードは速くて、ミスをすると大きい選手は 「技術力がない」と決め込む。問題は本人がいつのまにかこういう評価を 自らのものとしてしまうということだ。カテゴリーの威力、言葉の魔術は恐ろしい。 いつのまにかわれわれは他者による自己評価を、自分自身のものとしてしまっているし、 その事実にすら気づかないこともある。

 そういった分かりやすくカテゴライズされた言葉は、確実に嘘だ。人間はもっと複雑だし、 技術ももっと複雑だ。走力と技術はそう安易に二元論に分離できるものではない。 この文章のようにグダグダと、複雑に、さまざまなレベルが思いもよらない形でからみあっているのが 人間でありオリエンテーリングなのだ。複雑な現実を記述するためには同様に 複雑な言語を必要とする。また、言語によって現実を切り取ってくるとき、 われわれの行為はその言語によって規制される。アナリシスとはこういった トートロジカルな中で言語と行為をともに変容させていこうとする試みに他ならない。 自らの行為の背後にあった思考を内省してゆく力、それを言語で表現できる力、 さらにその言語表現から新しい思考のあり方を発想できる力、 こうした能力はおそらくはオリエンテーリングに対する集中力にかかわる 重要な能力だろう。言語化されているという事実は、レース中に明確に それが意識されていたことを示すからである。

 優秀なランナーのアナリシスは、必要な限りの言語が、レースの時系列に沿って 因果的にリズミカルに配置され、言語表現の質とさらには各言語間の相対的な関係 (量、質)とでも言うべきものによって、集中の度合いが量り得る。 彼らが何を見ようとしていたのか、どこに注意を向けようと思っていたのか、 その「総体」の「連関」が言語によって浮かび上がってくるのだ。 さらにそこで感じられるのは、自らの行為、意識の記述にとどまらない、 メタレベルからの自己評価である。彼らのアナリシスからは、 おのおのの記述が全体の中で占める位置について、その因果連鎖についての客観的な視点、 一つ一つの表現についての客観的、反省的な視点を感じ取ることが可能である。

逆に未成熟な選手は、自分のレースに対する表現力も未成熟である。そこに見られるのは、 自らの行為の羅列とその連関のなさである。因果連鎖されていないということは、 さまざまな行為がある意思のもとに統一されていないということである。それはすなわち、 行為それぞれは独立した意識でもって遂行されているとしても、それらを統合する背後の意思、 メタレベルの意識が弱いということに他ならない。

一般にいえば、いかなる行動を取ったのかに始まって、いかなる意識を持っていたのか、 にまで表現は深化してゆくのであるが、むしろ問題は、自らのオリエンテーリングを メタレベルから俯瞰し、相対化する言語にまでそれが至るかどうかにかかっていると思われる。 オリエンテーリングは、村越氏が行っているのとはまた異なった視点から、 哲学的な研究の対象となる。人間の認識、その志向性について。

オリエンテーリングでは、気づかなかったこと、に気づかなくてはならない。 厳密にいえば、気づかなかったことは気づかなかったから気づかなかったことなのであって、 しかも、のちに気づいてはじめて「気づかなかったこと」という言明が過去を 振り返って為されるものである。たとえば一生気づかないままであれば、 気づかなかったことという表現すらありえない。

つまり、気づかなかったことに、そのときに、気づけ、ということは見えないものを見ろ、 わからないものをわかれと言っているのと同様に不可能事なのである。現象学でいわれる 「図」と「地」、意識が志向する「対象」とその時に背景にしりぞく「地平」。 オリエンテーリングにおけるミスは、われわれが意識を向けている「対象」たる「図」を 誤っていることによって発生する。瞬間瞬間においてにわれわれが意識を向けうるのは ある一つの対象に過ぎない。それ以外の「地平」をわれわれは同時に意識することはできない。 だが、オリエンテーリングにおいて肝心なのは、この「地平」が何らかの形で 視野に入っていることである。常に言っているメタレベルの意識とは、「図」が 即時に切り替えられること、つまりそれまでは「地平」にしりぞいていた「対象」が ちょっとしたきっかけで「図」の位置に浮上し、志向される、そのための意識に他ならない。

これはパソコンのウィンドウにたとえるとわかりやすいかもしれない。 われわれが作業をするウィンドウはある瞬間にはひとつしかない。その他のウィンドウは、 開かれていても、アクティブではない。重要なのは、何かが起こったときには、 すぐに他のウィンドウを参照できる意識を持っていること、背後にどんな ウィンドウが開いているかを知り、それをすぐに前面に持ってこられること、 (そのためには、オリエンテーリングでは、全画面表示はあまりふさわしくなかったりする。 ある情報に完全にとらわれている状態なので)複数のタスクを同時平行させつつ、 今はどこに重点が置かれているのかをわかっていること、こうした背後までも含む、 メタレベルの意識が必要となってくるのである。

さて、話をアナリシスに戻そう。優秀なランナーのアナリシスからは、 このような意識が言語表現から見て取れる。ある情報に集中しつつ、 常にそれにとらわれてしまわず、大局を理解していること、そして逆に、 そのような言語表現ができるということ、これこそがオリエンテーリング能力の 高さの証左なのである。もちろん、オリエンテーリングの多くは言語化されない領域に よって支えられているであろう。経験をつむことで意識されないままに上達する 部分も当然存在するだろう。だが、明晰に言語化すること、その言語こそがウィンドウである。 言語化されるということはウィンドウを開くことである。背後にあるさまざまなシステムについて、 われわれは知らなくてもパソコンは動くわけで、われわれに求められているのは、 デスクトップでの作業、その効率的な遂行法に他ならないのである。

もちろん誰もが一朝一夕にこのような地点に至れるわけはない。僕の役目とは、 そのヘルプなのである。アナリシスに上記のような複眼的な視点を持ち込むこと、 リアルのレベルとメタレベルを常に往復し得る意識をつけてやること。であるから、 表層的な技術論については、もちろん指摘はするけれども、それはそれだけの話である。 むしろ目指すのは、彼らの意識のあり方の変容にある。そのためには、 彼らのアナリシスにシンクロしてゆくこと、彼らの意識の向けられている先をなるべく 同調しながら探してゆく事が必要となってくるのである。

ここらで話を現実に引戻そう。昨年、たくさんのアナリシスを見た。しんどかったのは、 シンクロしないアナリシスだった。シンクロしてしまえば、実にすいすいと批評は書ける。 だが、いくらシンクロしないアナリシスは、時間がかかるし疲れる。 そして挙句の果てには的外れなことを書いてしまう。とはいっても、執念深く、 付き合わないといけない。というのは、彼らから僕に合わそうとしてくる、 そういう努力ももちろんあるからだ。もちろんそれはお互いのキャッチボール。 そして、ある瞬間アナリシスが別人のようになる、そういう瞬間があるのだ。 それまでは何度読んでも頭に入ってこないアナリシスを書いていた選手が、 ある日まったく違ったリズムのアナリシスを出してくる。そういう時、 選手たちもたいていはいわゆる「オリエンテーリングが分かる」感覚を感じているようだ。 いわゆる「化ける」のである。これは京都時代から何度もあったことだったが、昨年度も、 さとけん、福沢、かとたかの3人のアナリシスからはそれを感じ取ることができた。 特に前の二人は、確実にオリエンテーリングの質が上がった瞬間を自分でも 感じていたのではないかと思う。確実に、彼らは去年の秋ぐらいに一度「化け」ている、 だが、これは長い長い道のりの本当の第一歩に過ぎないことも知っておかなければならない。

オリエンテーリングという競技では、わかることも非常に大事だけれど、 それを血肉化することはさらに厄介だ。自らの意識のあり方を自らの意識で 制御し続けるという作業化、自らの身体を自らの意識で制御し続ける 「スポーツ」といわれるものに比べて、掴みどころがなくいっそう厄介である。 私のコーチの目標は常に「自分で伸びていける選手になること」であった。 上記のアナリシスで「化ける」という事態は、この目標に向かっている。 自分で自分を分析できること、自己評価ができること。そしてそれによって 自らを自らで成長させることができること。つまり、アナリシスで「化け」ても、 まだ何も成長はしていなくて、そのためのツールが手に入っただけ、なのである。 身体と精神と、両方を一気にコントロールしてゆく精神を身につける、 そのためのこれはほんの第一歩なのである。

長くなった。最後に、こういう理屈をつけねばならないところが僕の限界でもある。
オリエンテーリングのセンスのある人はこういうところははじめから乗り越えている。 それはたとえば子供のころからやっているとか、そういうことも関係しているのかもしれない。 日本人と外国人選手との差はこういうところにあるのだろう。 とにかく、僕はこうするしかなかった普通の才能の持ち主だったし、 多くの日本人選手もまたそうなのではないかと思っている。
以上、夏の鈴木合宿の予習。