筑波の5年 (その2、2001年6月5日受信)
鈴木康史

4.「関係」のはじまり

 筑波大学オリエンテーリング愛好会の「オフィシャル」、 これは、インカレのオフィシャルのことというよりは、むしろ、 京大OLCで言う「監督」にあたる役目だった。端からこういった常識が違う。

 だが、もっと大きな問題は、僕の足場がどこにもなかったことだった。 OBであれば、すでに集団内である場所を獲得し、ある役割を期待され、 それを自分でも演じ、集団の構成員全員の「関係」の網の目の中で、良し悪しはともかく、 確固たる要素としての位置を占めている。私にはそれがまったくなかった。 すべての「関係」を作り出していかねばならない。 しかも、自然にそういった関係が出来上がるほど、頻繁に顔を出せるわけでもない。

 僕の最初の足がかりは、これまでに親しくしていた何人かのOBたちから始まった。 藤城、高橋といった、愛好会にも顔を出しているOBたちは (彼らは意識していたかしていなかったかは知らないが)、僕が現役生としゃべる触媒として、 また、現役生にとっても、僕をどう扱ったらいいのかのお手本として、 非常に大きな意味を持っていたと思う。彼らとの関係は、筑波にきた年のユニバー遠征、 そしてその翌年からの夏の鈴木合宿で、作り上げられたものだ。 これらについてもちゃんとまた書かねばならないが、実に去年一年の華々しい成果は、 大元を辿れば、村上が研究室に合宿をやってくれと訪ねてきたことから始まっている。 さらに現4回生の多くは村上の影響でオリエンテーリングにのめりこんだと聞く。 彼の遺したものは大きいということなのだろうね。

 さて、はじめてのミーティング、今、そのときのメモを見ると、正直笑える。 最初に話したのは、セレクション方法についてだったと思うけど、 その時居た全員に意見を聞いたわけだ。当時は一人一人がどんななのかぜんぜん知らなかったから、 結構みんなの意見を細かくまじめにメモしていて、それが今手許にある。 こいつがこんな意見をいってるんだ、へえ、やっぱりこいつは一言しか言ってないよな、 ああ、これは理屈っぽい・・・今、みんなをよく知ってから見ると、本当に可笑しい。

だけど、その可笑しさというのは、たぶんあの時みんなが緊張していたからだろう。 いきなりやってきた、なんか肩書きはすごいけど、よくわからない、 ナショナルチーム系の人、そういう人に本当に自分たちのことを理解してもらえるんだろうか? そういう不安感は、あの日にも、僕には伝わってきていた。 (それに僕はぱっと見が恐いらしいんだよな。)

だが、僕自身にとってもそれは同じだった。愛好会とどのような「関係」を作り出してゆくべきか。 もちろん僕にもわかっていなかった。しかしながらこういう「関係」というのは、 はじめから形があるものではなく、お互いが関係を作ろうとしてゆくこと自体の中に生成するものだ。 そういう意味では、「手探り」すること自体がすでに重要な関係性を含んでいる。

おたがいの手探りが、ここから始まることになる。まずはその第一章。


5.愛好会の物語とリアリティor陽の当たらない場所

 その時確かリーダーシップをとっていたのは谷中であった。 インカレ優勝が目標だ、と言っていたのも彼だったと思う。 だが、残念ながら、僕にはその言葉が愛好会内部でいかなる位置に ある言葉なのかが今ひとつ理解できなかった。谷中自身がどういう関係性の 中にいるのかはもちろんよくわかっていないし、そして彼がそういうことを いっているということ自体が愛好会に持つ意味、それが正直言って、まったく理解できなかったのである。 これは、福澤がはじめてメールで僕にコンタクトを取ってきた時に、 そこに書かれていた目標に感じたものとも同じだった。 そこには以下のように書かれていた。以下、プリントアウトしたものから引用。

1.インカレ団体戦優勝、併設優勝
2.1年間を通してインカレに向けての意識を持った行動
3.低学年を、オリエンテーリングと愛好会に引き込む
4.

リアリティがない。一言で言えば、僕はそう思った。

このような目標を掲げるに当たって、それを達成する手段を彼らがどれぐらい持っているのか?
これは目標達成に向けての具体的な見通しを持った目標なのか?
たとえば、優勝という目標は、口に出すには実は一番安易なものだ。 そういっておけば誰も文句は言わないし、さらには自分自身をだますことも可能だ。 しかし、現実を見れば、すでに早稲田が圧倒的な戦力を持っていたことは誰の目にも明らかだった。 今の戦力で、どうやって彼らに勝つのか。本気で優勝したいのであれば、 そういった夢をぶち上げること以前にもっとリアルな目標が浮かび上がってくるはずだ、 僕の経験はそう告げていたからだ。優勝は、そう簡単に口に出せる目標じゃあないだろう? 本気で腹を括ってるのか?たいへんだよ、かなり・・・。あまりに簡単に掲げられた優勝の二文字に、 僕はリアリティを感じられなかった、これが正直なところだった。 むろんこれは僕の思い過ごしかもしれない。いまだに僕は愛好会を誤解しているのかもしれない。 だが、とりあえず、僕はあの時そう感じていた。

リアリティのある言葉を吐くのはなかなか難しい。むろん僕は夢が持つ力を十分に知っている。 それはパワーになるから、目指していること自体に意味がある。その時それは大きければ大きいほどいい。

だが、われわれは時に夢に逃げ込む。夢を語ることで、今自分が何かをやっている気になる。 それこそが現実逃避かもしれないというのに。つまり、大きい夢を語ることは両刃の剣である。

一年間優勝を目指して、しかし心の奥底では駄目だろうなあ、なんてかすかに思いながら (=しかもこっちが実はリアル)、けど、もしかしたらいけるかも、 っていう一縷の望みをつなぐことで、そういった不安を見ないようにして、隠して、 で結局駄目で、けど優勝目指して一年頑張ったから、それでいい思い出になった、 よかったよかった、拍手、涙、しかもそれはインカレ団体戦というお祭り騒ぎの中。 結局、一年間が美化されて終わり!!!

こういう予定調和こそ、僕が一番嫌いなものだった。そして、はじめてのミーティングで感じたことは、 筑波はこの予定調和の物語を作るのがうまい人たちがそろっているなあ、ということだった。 いや、言い方が悪い。むしろ、愛好会に入って、そういう物語しかまだ彼らは知らないのだから、 そういう物語の中で数年過ごしてきたのだから、うまいのは当然、一年をそういう方向で組み立てようとするのは 至極当然なんだということだった。それはそれで重要な財産だしね。

だからそこで思ったのは、僕の力でどこまでできるかはわからないが、 そういった世界とは違った世界があるということ、別の一年の過ごし方があるということ、 を見せてやることができればいいなということだった。僕なりの目標への挑み方、そ れはもはや学生時代――白状しよう、当時は僕もよく似たものだった――とはまったく逆の方向を向いている。 とにかく結果を残すこと、それも、一番大切なところで、最高の結果を残すこと、過程はどうでもいい、 途中の結果もどうでもいい、一点集中。すべてを結果のために犠牲にしていこうとする意志。極端な例だが、 たとえそれが非競技派の切捨てであっても、敢えて断行するまで腹を括ること。

これは彼らの目指す方向とはまったく逆である。「低学年を、オリエンテーリングと愛好会に引き込む」ことは、 今年優勝することだけ考えるなら、かなり無駄なことだ。直接には何の役にも立たない。少なくとも、 両立するには相当のパワーがいる、それはたいへんなこと。そのたいへんさをわかって、 君たちはこの目標を立てたか??そのためのたいへん地味な努力を、君たちはやる覚悟があるのか??

いわば、彼らの目標にはあらゆるところで光が当たっている。1年間のあらゆる瞬間に結果が求められ、 そのたびに彼らは結果を出し続けねばならない。 「1年間を通してインカレに向けての意識を持った行動」とはそういうことだろう? それはおそらくは一番やらなくてはいけないことでありながら、直接にそんなこと目指したって、 ちょっと無理だよ、という、あまりに遠大すぎる、しかし耳あたりのいい目標なのだ。

 強くなるためには、いや、何かをやり遂げるためには、決して陽の当たらない領域に、 どっぷりとはまり込まなければならない。地味な、本当に他人から見ると馬鹿にしか見えない、 言葉で美化することすらできない、そういう領域に足を突っ込まないといけないのだ。 それはいわば「ギャグにすらならない」「ネタにすらならない」努力、である。 それは月300キロ走ることではない。それは「すごい」から。それは「ペナ」することでもない。 それもある意味脚光を浴びるから。そうではない、あまりに当たり前の、あまりに地味な、 走ったあとに、必ずストレッチを、決して手を抜かずにやりぬく、といったような、 そういう世界が求められているのである。毎日毎日、欠かさず走ること、毎日毎日地図を見ていること。 毎レース毎レース、きちんとアナリシスを書いていること、ループを走るとき一歩でも土の上を走ること、 ペデで切れ切れにしかない植え込みをすべて走ること、人にいわれた事に、 ちょっと自分なりの工夫をいつも加えて、試行錯誤してみること、しかもそれらがたいていは失敗でも、 それにめげないこと・・・

 愛好会はあまりに目立ちたがりすぎだった。陽の当たる場所を歩きたがりすぎていた。 だが、それは一番おいしいところに集中できていない証拠だ。それは、こういうこと、 一番陽の当たるところに出て行くのは、ちょっとプレッシャーで恐いから、ちらちら漏れてくる光を、 少しづつ浴びてればいいや、それでも結構プライドは保てるしな。そういうことに過ぎないなのだ。 これでは、絶対に勝てない。

 僕の現役時代、僕よりも圧倒的に力が上の選手が僕に大事なレースで負けるのは、 彼らが今までおいしい目にちょっとずつ見ているからなんだろうなと思っていた。 そういうおいしい経験は、確実に身体に蓄積して、集中をどこかで浅くさせる。 私はかなりの間おいしい世界に無縁であったため、彼らよりも深い集中に入れる。 そういうことなのだ。本当に勝ちたいと、僕のほうが深く思っていたのだ。 ただ、もうここまで来ると、それはもはや「生き方」の違い、である。長島と王や野村のように、 もはやどちらが上、の世界ではなく、自分が選び、また環境がそうさせる不可避的な、 そういう領域の話である。一言で言えば、価値観の相違だ。

だから、僕のやり方を彼らに強制することはできなかった。彼らが掲げた目標は、 (この歳になった僕にはなじめないものであっても)彼らにとっては重要なものである。 それをつぶすことは、なんだかんだいっても逆効果にしかならないし。

ただ、彼らがここまで、その背後にある深みまで、わかっているかどうか、それは怪しいものだった。 最初に書いた「理解できなかった」とはこういうことだ。ここまでわかっている誰かリーダーがいるのかどうか、 たとえば谷中がここまでわかった上で、あえて言っているのならば、僕の出番は少なくていい。

だが、おそらくは、愛好会を長年支配する「物語」があって、一年の過ごし方は知らず知らずその 「物語」に支配されているのだろう。これらの目標も、毎年繰り返される物語であり儀式の一つなんだろう。 さらにこの物語の外に出ることは複雑に絡んだ人間「関係」を根底から揺るがすことになる、 それはみんな皮膚感覚でわかっているから、誰もそこから抜け出そうとはしないだろう。 おそらくはこういった皮膚感覚的なレベルで、無意識に近いレベルで、彼らの判断はなされている。 目標は、こうした諸要素から出てきたもので、彼らが腹を括ったわけではない。ここで掲げられた目標は、 それぞれ重要なものでありながら、全体として思考の浅さと、さらには決断の留保を物語っていた。 腹が括れていなかった、そういうことだった。優勝の困難を本当に知ってるのか?知っていたら、 そう簡単にこの目標は掲げられねえぞ。

 お前ら本気か??

 これが、愛好会に接した僕の最初の正直な気持ちだった。 当然、本気になってもらわないと、入賞もおぼつかないだろう。一年間どうなることやら?? 本当にそう思っていた。あの時は。

だが、こういう風に思っていた僕を、彼らはある面では綺麗になぞってくれたけれども、 ある面では大きく裏切ってゆくこととなる。(それは後の話。)

 当面は、とりあえず、僕は、自分の物語を、何とか押し付けがましくならないように、 むしろ物語それ自体の力によって浸透させることに意識を向けることとなった。 地図読み正置走や、手続きの理論など、幸い僕は力のある「オリエンテーリング上達の物語」をたくさん持っている。 はまれば衝撃を与えるこれらのお話をさっさとぶつけることが、最初の仕事だった。 実にこれらは地道な努力によってしか身につけられないが故に、 早い時点で教えておかねばならないことであったのだが、それにも増して、 ここでは、君たちとはぜんぜん違った物語がここにあるんだよということを早くから知らせてゆくこと、 こうして彼らの中で無理やりにでも価値観の衝突を起こさせること、が目指されていた。とにかく衝突させること、 別の価値を入れること。僕の言うことを聞く必要はさらさらない。

だが、選択肢が増えた中で選ばれたこれまで通りの目標は、これまで通りであっても、 やはり腹が括れているはずだ。そこには真の「決断」の深さがあり、彼らは以前より「本気」になっているだろう。 たとえそれが僕に対する反発であっても、それはよい。鈴木康史さんが言っていることに俺は反発しているのだ、 それだけで、ちょっとは本気で腰を入れないといけなくなるだろう? (このあたりでは、僕のネームバリューが「使える」わけだ。)

 こうして、彼らに本気の決断をさせること、それが僕の一年間の目標となった。 愛好会の物語と、僕の物語が衝突し、せめぎあい、ねじれ、混交する、そういうスリリングな場所として、 クラブ全体がダイナミックに動いてゆけばいいなあ、うすうすそういうことを考えながら、 僕は最初の数回のミーティングで、言いたい事を言わせてもらった。たとえば、ショートセレの予習のミーティング、 吉村がやってくれていたのを、時間の問題もあったが、僕は途中でさえぎって、 自分の流儀で、自分の言いたい事をいった。覚えてますか??あれは吉村に失礼だ。 だが、敢えてあの時はそれをした。で、もしかしたら何人か、反発を感じたかもしれないが、 それこそ僕の思う壺だったわけだ。彼らはそこで、本気で考えるだろう。それでもいい。 とにかく、僕の物語に、反応をさせること(僕は触媒だったのかな?)、それが大切な目標となったのだ。

そして、この僕の働きかけに対して、小泉がおそらくはもっとも早く表立った反応を示したので、 ――『明日のために』か何かに――僕はちょっと希望を持った。 早くも、二つの物語が、新しい物語へと変容し始めているのだから。そして、その希望は現実となる。 愛好会の物語と、僕の物語が衝突し、せめぎあい、ねじれ、混交する、 そういうスリリングな場所、去年の愛好会はそういう場所だった。