日光インカレのあとに (1996年3月の日光インカレで、京都を離れ筑波に来るにあたり、 京大OLC機関誌「ペナルティ」に載せたもの。京大時代のコーチの総 括)

鈴木康史


 第一稿は、3月末にはできあがっていたのですが、手直ししようしようと思いながら、もう4月も半ばを過ぎてしまいました。今日は4月21日、今日は筑波山に登ってきました。標高は800メートルですが、比叡山よりもきついです。全部走って登ることは不可能でしょう。岩がごろごろしていて足場が悪いのがつらいですが、北欧のテラインの練習にはなりそうです。こちらでの生活にも少し慣れました。こちらは食べ物屋が少なく、学食のメニューが少なくまずく、部屋が独房で狭く、東京弁が耳障りで、茨城弁は英語よりも何言ってるのかわからない、ということ以外は快適です。というわけで、やっとフロッピーを持ってこられたので、今から手直しして送ります。これがコーチとしては最後の原稿です。単なるOBとして、オリエンテーリング講座なんかは今後も時々投稿するかもしれませんが、その時はよろしく。


第一部 イントロダクション

まずは送別会に来てくれた皆さん、どうもありがとう。振り返ってみれば、インカレ運営を1年挟みましたが、5回生以来足掛け7年間のコーチ活動でした。毎年コーチとして、君たち後輩と一緒に過ごせた時間は、本当に貴重なものでした。成長してゆく君たちの姿は、常に僕自身の糧となり、刺激となってきました。今の僕があるのは、こういう力の後押しがあったからなのでしょう。この7年間は、私の一生の財産になりそうです。ですから、送別会に現役生がたくさん来てくれたことが、送別会をやってもらったということにも増して感慨深い事でした。こういう会は「いつもの顔ぶれ」になるように思うのですがのが,いつもと違う顔ぶれの中で送り出された、ということが、自分のやってきたことを実感させてくれました。

 ところで、送別会に来てくれたほとんどが、僕が体育学に進み、スポーツ教育を一生の仕事にしよう、と決意してから入ってきたメンバーです。そして,その立場を自覚することで、僕の立つ位置は非常に大きく変わってゆきました。中でも大きかったのは、「成熟」としか言いようのない僕自身の精神的深化でした。アスリートとして、この数年間の僕は、大学に入ってオリエンテーリングにのめり込んだ1、2回生の時に優るとも劣らない、ドラスティックな変化を遂げました。自分自身のことで言えば、その結果が世界選手権出場につながったのですから、実に僕は幸福(Good Luck)だったのでしょう。この年齢で初出場というのは、他の多くの優秀な選手にくらべると遅いですが、だからこそ味わえる滋味、というのが確かにありました。

しかし、このような自分自身の成熟を、僕はどこでどのように表現すべきか、なかなかわかりませんでした。もちろん競技活動の中でそれは表現されるべきものなのでしょうけれども、オリエンテーリングの世界ではそれはいろいろなレベル、意味で非常に難しいことです。結局、僕はそれを、コーチング活動の中で具体化して伝えてゆくしかありませんでした。そして,それこそがスポーツ教育でした。ですから、京大OLCのコーチを務めさせてもらえたということは、僕にとっては非常にありがたいことだったのです。

 しかし、これはちょっと残念でちょっと反省していることですが、この僕の枠組みを超えんとする精神的なスケールを持った選手は、京大OLCには出現しませんでした。もちろん、僕ほどにオリエンテーリングにのめり込むこと自体普通ではないと言われればその通りなのでしょうが、残念ながら、アイデンティティのすべてを賭けていこうとするような、繊細で強靭でしなやかな芯の強さを持った選手は出てきませんでした。しかし,それは,残念と言うより、仕方のないことだったのです。スポーツの世界でも言われるように、このようなスケールを身につけるのには、年齢、という決して乗り越えられない壁があるようです。(例えば、マラソンのピークは27歳ぐらいだといわれています。)それを無視して、無理をして、一人相撲を取ってしまった、これは僕の大きな反省点です。教育者のはしくれとして、選手と同じ立場でものを考えず、常に彼らよりも一つ大きな枠組みの中で選手を相対的に位置づけ、その選手の絶対的な個別性を伸ばしてやることを、僕はずっと目標にしていたのですが、僕自身,自分自身の「成熟」体験を人に伝える「言葉」を、未だに持ち得てはいないと思います。今取り組んでいるオリエンテーリング講座シリーズは自分の「成熟」を人に伝える"実験"であり,村越が開拓したオリエンテーリングの言語化を、さらに押し進めているつもりなのですが、いかがでしょうか。しかし「成熟」という、言葉にならない領域を言葉にするのは、本当に困難な作業です。そして、仮に言葉にできたとしても、受け手の側の年齢、考え方の根本的未成熟という壁は、こちらからはなかなかクリアできません。

 たとえば、27歳という年齢は、去年僕自身もどこかに書いたと思いますが、「変わり」ます。そしてその時、それまでの世界の狭さがふと気付かれます。味が出てくるのはそこからです。君たちはまだまだなのです。大学クラブという小さい枠の中では,世界は真の姿を君たちの目の前にあらわしてくれません。そして、その世界が開けたときにしか、こちら側の言葉は伝わらないのかもしれません。

 さらに,ここに書いた「大学クラブで終わってはいけない」という言葉は、かつて西田さんがどこかに書いておられた言葉であり、当時の私が反発を感じた言葉であるということこともつけ加えておきましょう。僕自身にも、そういう時期があったのです。ですから、その若さを否定し、自分自身の過去を否定するする気はさらさらありません。それは非常に重要なステップです。しかし、もはや僕の役割は、当時の西田さんでなければならないでしょう。

 こんなことを思いながら、僕は、君たちが将来分かってくれるだろうという願いを込めて、何度も自分の経験を言葉にして「導きの石」としてあちこちに置いておきました。その大部分はペナルティにあります。そして今回も、その集大成を、ここに残します。いつの日か、「あっ、そういうことか」と、誰かがわかってくれることを、今は夢見ています。つまり、僕の京大でのコーチ活動は、終わったようでも、実はまだ終わってないのです。

 長い前置きでしたが、ここから本文です。題して「日光インカレについて」内容は夏に未完になった、オリエンテーリング講座「センシティヴ」の続きです。


第二部 世界選手権のおはなし

いつのころからか、インカレ団体戦の後の歌の輪が嫌いになってしまっている自分に気が付きました。今年はさっぱりしていたので良かったのですが、ここ数年間はもう生理のレベルで耐えられませんでした。ただ、白状すれば、かつてあのような風習を持ち込んだのは僕自身です。まさに自縄自縛。

「どうして今日だけみんな素晴らしいチームメイトなの?」と、4回生のときに僕は叫んでいました(10年史参照)。「今日」とはもちろんインカレ団体戦の日のことです。だが、この叫びは、インカレのお祭りの高揚感の中では声になりません。その日、クラブの全員がすばらしいチームメイトでした。あの瞬間は麻薬です。「一瞬の連帯」を求めて、旅が始まりました。

旅は6年続きました。僕はドイツにたどり着きました。日本代表選手は5人、しかし3レースとも出場枠は4人です。僕の競技生活の中で、初めての「控え」は、世界選手権という一番大事な時にやってきてしまいました。リレー前日の男子チームミーティングでは、僕にも発言が求められました。僕はチームの事など考えられる状態ではなかったのですが、不愛想に黙ってもいられず、(村越1走という今まで通りの走順で行くか、本番の走順で行くかについて)「どちらでも僕には関係ないが、何かから逃げ出そうとする走順は困る(それなら俺に走らせろ)」という主旨のことを言いました。これは、完全に、自分自身のプライドを守ろうとする言葉でした。もはや僕にとっては、日本チームの成績よりも、自分が立ち直ることの方が重要だったのです。

しかし、自分のことしか考えてなかった僕が、チームに対して、走り方を「要求」する口調になっていたことに、後で気づきました。「他人にこういう走りをしろと全員が要求しあっていたのはすごかった」という話を誰か(公也だっけ)がしていたのを聞いた時です。

この時、結局はチームは個人の集積だ、という言葉が、まったく違った姿で僕の前に立ち現われてきました。他人に対する要求も、結局は自分のことを中心に考えてるから出てくるのでしょう。これも新しい地平でした。そういえば、ここ数年間の「変化」の中で、しばしばこういう経験がありました。何の変哲もない言い古された言葉の奥底に潜む、一見理屈に合わない、しかし深みのある地平に目が開かれること。若さにまかせた反発と新しいものへの挑戦の季節には決して見えてこないものが、ある瞬間に見えてくるのです。この時も、エゴとエゴが火花を散らす中での個人の「つながり方」が、はじめて「実感」できた瞬間でした。

そこには「一瞬の連帯」すらありませんでした。何か一つの目標に向かって、手を取り合って、いっしょにやっていく、そういう連帯は、そこにはかけらもありませんでした。そこにあったのは、お互い全然違う人間が、お互いエゴイズムと断絶を糧に「理解」しあい「結び」ついている、そういう風景だったのです。そこで僕たちが共有していたものとは、唯一、お互いが一人のエゴに満ちた人間である、という、一見絶望的な認識でした。自分たちの平凡さ、卑しさがお互いにすべて筒抜けだったのです。気まずく、剥き出しの、そんな時間がドイツでは流れていました。僕には他の4人の心の動きが手に取るようにわかりました。そして彼らが僕の気持ちを分かっているということも手に取るように分かりました。それを感じられなくては、もとより一流にはなれません。僕にとってのこの遠征のハイライトは、ショートの時、村越さんが木植さんの決勝進出に対して見せていた恐ろしく複雑な顔だったのです。その顔を、たぶん僕も、始終していたに違いありません。

 こういう状態を、「信頼」とか「チームワーク」とかいう言葉で観念的に隠蔽し飾り立てることは、確かに可能です。今から思えば大学クラブ出身の我々には、それもたやすかったかもしれません。しかし、我々はそんなことを思いつきもしませんでした。それによって、男子チームは、逆にパフォーマンスに対する集中と、妥協なき前進を、確かに、自分のものとしようとしていたのです。(例えば、僕がドイツでギャグを言っていたと、送別会で田島利佳ちゃんが言っていましたが、今回の遠征では、本筋と関係ないことは見事に何も覚えていません。)

リレーの当日、僕は他の4人とは全く違う場所で戦っていました。大学クラブならば、ここで、心を一つにしよう、というようなお題目が繰り返されます(僕も昔は良く言ってた)。「ゴールの声援を走ってる選手に届けよう」「すべての部員の勝ちたいという気持ちがクラブを一丸にする」などの言説は真理をついていますが、今の僕には居心地の悪いものなのです。安易な信頼を選んで裏切られるよりも、徹底したディスコミュニケーションと卑しさを、今の僕は選択します。世界選手権前に書いた、泥にまみれてゆく、とはこういう事です。そうして、もはや後ずさりできない、絶望の一番深い所に身を置くこと。そうすれば、どの方向に踏み出そうとも、それは希望に向かっているのですから。(アンソニー・ストーの『孤独』を、これから読んでみるつもりです。たぶんこのことが、書いてあるでしょうから。)


第三部 集中

さて、日光インカレのリレーの前に印象的だったのは柳瀬と薛が喋りまくり、諏訪は静かだったことです。田井はあまり見てないので知りませんが、たぶん静かだったでしょう。この光景を見て、いつものことだな、とは思ったのですが、集中と饒舌と沈黙について少し考える所がありました。

集中は沈黙の中に生まれてくるものです。饒舌のなかには集中は決して生まれてきませんし、もし生まれてきたなら、それは真の集中ではありません。さらに言えば、言葉、というものは集中を決して生まないものだと思います。例えば「尾根に登ったら正置する」という言葉がどれほどの役に立つのでしょうか。それをいくら言い聞かせても、出来ない時には出来ないものです(経験者は語る)。考えてみれば、尾根に登ったら正置する、という言葉は、正置しない自分があってこそ出てくる言葉なのです。(だから体で覚えなあかん、というのがベーシックプログラムです。)

言葉は、人間を主体と客体に分離するものです。これは真の集中を阻害します。

これを具体的に証明するのではないかと思われるのが、以下の例です。個人戦で,柳瀬と薛は、レース前には最後の長いランニングを歓迎していたにもかかわらず、実際はぜんぜん走れなかった、という結果だったようです。彼らのイメージ以上に、コースが厳しく、体力が足りなかったと言えば簡単ですが、これは、さらに言えば、彼らの身体(=体力)が彼らの精神(=イメージ)を裏切った、ということです。 基本的に、僕は集中を、精神を身体の隅々まで沁み通らせること、と捉えています。その時、精神は、身体に従属するが如くになります(注参照)。

 ところが、この精神というやつは厄介なもので、中でも一番手を焼くのが、その限りない飛躍なのです。精神はどんな高みへも登ってゆきます。精神世界では自分が王様です。身体の限界など、精神は知りません。そして、精神は「観念」として具体的な形を取り「言葉」を媒介として実体を持つかのごとくに振る舞います。精神は観念として、言葉によってとめどなく増殖してゆくのです。(観念の王国オウム真理教の修行テープや外報部長の空虚な言葉の垂れ流しを見ればわかるでしょう)

レース前の集中とは、レースという場に、観念ではなく、「身体」を投げ込んでゆくためのものです。観念も観念を支える「言葉」も二次的なものです。しかし、言葉が出しゃばり、観念と精神がとめどなく増殖するとき、限界のある「身体」はそれを支配することができません。ここに集中が失われます。

 集中は沈黙の中に生まれます。身体がこれから発しようとしているリアルな力の前では、言葉ごときは何も語れません。集中すると、僕の筋肉には力が満ち、なぜかひとりでに震えはじめることがあります。生理学者に言わせれば、もっともらしい理屈がつくのでしょうが、僕には、それは筋肉(=身体)が、沁み通ってきた精神を受け取り、自分で集中力を発揮しているとしか思えません。(感情すらも物質的に解明できるご時勢だそうですが、それは医学が自己破産する瞬間であり、哲学の必要性が決定的になる時です。おそらく筋肉も考えています。)

この「真の」集中は、たぶん、すべての鍵です。例えば、ミスパンチのオリエンテーリング講座シリーズも、その論のベースを「集中」においています。集中を言葉で語ること自体矛盾しているのですが、その困難に取り組み、オリエンテーリングにおける集中の諸形式を技術論として明らかにしてゆくものです。ここでも最重要なのは、集中のしかたです。また、常々言っていることですが「オリエンテーリングは、一人でトレーニングした時間の長さ比例して速くなる」ものです。自分を眺めること、自分に集中すること。言葉は他人に向かうものです。自分に集中するとき、言葉はいりません。自分を見つめなさい。集中しなさい。振り返ってみると、長いコーチ稼業で、実は僕はこれ以外何一つ言ってきませんでした。真の集中はあなたを蝕んでいた一見理屈にあった「観念」を吹き飛ばすはずです。この世界が一変し、恐ろしくもすばらしい姿を顕現するのはまさにその時です。


第四部 インカレの講評

僕は、今年の成績は非常にすばらしいものだったと思っています。リレーというのは厳しいもので、全員がきちんと仕事をしないと、良い順位は決して取れないものです。今回で3位は5回目となったわけですが、弘太郎や小長井といった絶対的なエースが抜けた3年間のうち2回3位を取ったということは非常にすばらしいことです。僕が4年生の時に、初めて3位を取った時には、まだまだ、どのように一年間を過ごせば表彰台の高い所に居られるのか、という事は良く分かりませんでした。僕がコーチとしてずっと気にかけていたことはまさにそれで、絶対的なエースがいなくても、きちんと結果を出すクラブこそがクラブとして強い、とずっと思っていたのです。ここ3年間を見て、その目標はやっと達成されたように見えます。それは僕にとっては、非常に嬉しいことです。だけども、何故エースが生まれないのか?もう一つの僕のテーマはこれでした。リレーで高い所に登ることは、エースなしでも出来ます。しかし、一番高い所へはエースなしでは登れません。これも、自分自身がそのようなランナーになれなかったおかげで、奈良で3位に落ち着いた、その時以来ずっと気にかけていたことでした。クラブとしての強さと、エースの存在と、この2つがないと、優勝は出来ないのです。もはやクラブとしての強さは身についていると思います。後はいかにエースを育てるかです。残念ながら、エースというのは、自分で宣言してなるものではなく、他人に譲ってもらうものでもなく、何か不思議な力によって出来上がるものです。だけど、ここに僕が書いてきたことを読めば、不思議な力の一端は、君にも理解できたんじゃないかな・・・・・


第五部 おわりに

いろいろな所に書き散らした文章が、まさに書き散らしていながら、後で読んでみると一つの方向に収斂している、こういう経験は始めてです。そして、ここ数年のそういう断片の真ん中に位置して、それらを一つにまとめてくれるのが、この長い文章です。これは大きな物語の一つの完結なのでしょう。ここ2年間の、多くの実りある経験が、一つの完成をもたらしてくれたと思います。

インカレのレース後に、柳瀬としゃべっている時、彼が「僕は結構傷つきやすい」と言っていました。僕も負けじと「俺も相当傷つきやすいよ」と言った所で、そばにいた女の子の目を気にして、この会話は「いい年した男がこんなことで張り合ってる」と笑いの中に消えてしまったのですが、実は、この傷つきやすさは、オリエンテーリングが速くなるためには欠かせないものだとあの時言いたかったのです。夏頃のペナルティに「センシティヴィティ」に関する,あのままでは何もわからない未完の文章を載せましたが、あの続きはこのような結論に至るはずだったのです。センシティヴでないと、速くなれない、僕はそう思います。

実は、この長い文章は、というよりむしろ、私は今までずっと、このことを言いたかったのでしょう。第二部で書いたことは、どれだけ他人を感じられるか、ということです。第三部で書いたことは、どれだけ自分を感じられるか、ということです。玉木正之が高校野球について書いた文章をフリーダムのインカレ講評に引用しましたが、あの文章も、自分を感じること、を言っているのです。

どこまで自分を感じられますか?どこまで他者を感じられますか?自分を,他者を少しでも奧深くまで感じられることこそが私の言う、強いセンシティヴィティです。

この原稿の第二部、第三部は、秋頃から書き溜めていたものに加筆訂正したものです。その他は書き下ろし。サニーデイ・サービス「東京」を聴きながら。3月26日。暖かい春の日に。さらに加筆訂正、4月21日。筑波にて。


P.S. 今年のインカレは、木曜日から、みんなと行動を共にできて、本当にとても楽しかった。どうもありがとう。

(注)オリエンテーリングとは、身体を精神で支配する競技であるから、集中とは逆だ。これもオリエンテーリングの面白いところだと思う。