日光インカレの感想 (2001年8月7日受信)
鈴木康史

これは1992年の文章です。『二回目の日光インカレを終えて』はすでにこのページにあるけれど、その一回目がこれ。とりあえず、続き物で2編。継続して京大OLCのコーチをしていた時のものですが、滋賀インカレ(土山)の地図調査責任者をやったので、一年間の空白がある、その年度のはじめの原稿です。ともにペナルティにあり。ちょっと若気の至りの恥ずかしいところもある。


 日光インカレの感想 ORIGINAL DEMO VERSION

 インカレはいいもんです。実行委員長の篠崎東雄氏が、閉会式で「想い」について言っておられましたが(余談になりますが、彼はわたしが事業部長をしていた前年の幹事長です。そういう関係で昔から親しいのですが、彼のこの「想い」という話は何度も聞かされてきたものです。彼は早稲田出身ですが、早稲田にはめずらしいセンスの持ち主で、素晴らしい人です。)、私のインカレに対する「想い」は、今回でもまた大きくなりました。これから来年の滋賀インカレに向けて、つらい作業が待っていますが、この「想い」を糧に頑張れそうです。だから、とりあえずは素晴らしい舞台を見せてくれた選手のみなさんには、感謝の言葉を言わねばならないところなのでしょうが、ここでのつまらない一言よりも、来年の素晴らしい舞台こそが何よりのお礼になるでしょう。土山のテラインがみなさんを待っています。皆さんも、選手として、主催者のひとりとして、「学生主催」の滋賀インカレを素晴らしいものにしていっていただきたいと思います。

 何だか「事業部長の言葉」みたいなかたい話になってしまいましたが、今のところはこれで勘弁してください。実はまだ書く言葉が見つからなくて。

 どうしてかというと、こういうことです。他人が人の成績をとやかく批評したり、「よくやった」等とか言うのは、失礼なような気がしてならないのです。人の成績を誉めるのはいいが、じゃあお前自身はいったい何をしてるんだ?人の成績を建設的に批評するのは無責任だからできるんだろう?こういわれると、ぼくには何も言い返せないからです。

 ぼくはまだ現役を退く気は毛頭ありません。インカレでは確かにオフィシャルと選手でしたが、オリエンテーリングに向かうという一点では、まったくぼくは君たちと対等です。人の成績よりも自分の成績が気になってしまうのです。だから、ぼくが責任もって今言えることは、君たちとは立場を異にする役員としての、上に書いたことぐらいなのです。ごちゃごちゃと妙な批評をする気はありません。いや、まったくしないというわけでもないでしょうが、しかし、無責任な立場からの発言は、絶対にしたくないというのが本当のところです。そして、今の時点では、自分の中で、君たちへの言葉と、自分への言葉の整理がついてない、だから責任がもてない、というのがいちばん当たってるのかも知れません。

 だけど、今、責任をもって確実に言えることも一つだけあります。それは、君たちの走りは私の心を、又もや打ったということです。ぼくの心を打つことなんて、たいしたことじゃあないかもしれないけど、少なくともひとりの男を感動させたというのは事実ですから、君たちは自信を持って、胸を張っていいと思います。

 こうして、ぼくの「想い」は、又ひとつ大きくなったわけでした。篠崎さんの思惑どおりになったわけだから、今回のインカレも、素晴らしかったんだと思います。

 あなたの「想い」は何?大事に育ててください。きっと大きい花が咲くでしょう。

もう少し考えがまとまったら、コーチング、コーチ団の話などとも関連させて、ここ数年間のインカレをふりかえった資料を書きたいと思います。


<ペナルティ89 1992年(平成4年)4月掲載>

終わってしまったコーチのお話  1989-1991      すずきこうし

 こないだのペナルティには偉そうに色々と書くなんていう予告をしたけれど、しんどいのでやめにする。昨年度のコーチ団の反省会議が召集されれば、その場でお話して、弘太郎か誰かにまとめてもらおうと、虫のいいことを考えている。弘太郎くん、よろしくね。ということで、ここでは思いついたことを羅列して、現役の皆さんに考えてもらいたいと思う。怠慢だ。

★以下本題

 いまから私の意見を述べる。私の意見である。コーチ団の意見ではない。

 さて、京大OLCのコーチとして一番困るのは、以下の二つを共にめんどう見なければいけないという建前があること。

  オリエンテーリングを好きにさせる
  オリエンテーリングを速くする

はっきり言ってしまえば、 に関しては「面倒見切れない」。誤解を避けるために言うと、クラブに入りたての新人をオリエンテーリングが好きになるように仕向ける、というのは話が別である。

しかし、彼らがクラブに落ち着いて以降は、特に、私から見て、オリエンテーリングが速くなろうという心構えのない者に対しては、如何ともしがたい。共通の話題すら見つからないのだ。

 ズバリ言おう。コーチ団に選ばれるメンバーを見てもわかるが(エリートばかり!!)私のコーチとしての本音はエリート偏重(=言葉が悪い。「速くなりたい人偏重」の意味。)であった。オリエンテーリングをやる気のない奴まで相手にしてられないのである。すなわち、コーチ団は全ての部員に対して開かれてはいない!!

 いや、これは逆に言うなら、やる気さえあれば我々は喜んで相手にするということである。やる気を出す、出さないは個人の自由である。全員がやる気を出すことも可能なわけだ。そう考えれば、コーチ団とうまくやっていく機会は均等で、すなわちコーチ団は全ての人に開かれている、と言える。しかし、そんな建前論で納得できるか?

 インカレのオフィシャルを見よ。個人戦エリート10人ほどのために2人のオフィシャルがつきそう。しかし一般クラス30人にはたった1人である。リレーでは、エリートは事細かに中間タイムを記録する。アップにも付き合ってくれる。一般には見向きもしない。なのに、オフィシャルの交通費、参加費の一部は公の部費から出ている。

 こんな不公平に我慢できるのか?コーチ団は不要だという意見がなぜ出てこないのか?不思議だ。もしそういう意見が出れば「やる気を出さないお前が、コーチ団に面倒見てもらう機会を捨ててるんだ!!」こう言う奴が出てくるだろう(私も言いそうだが)。しかし、それは個人の自由である。自由に振る舞って、どうして不利益を受けるのか?こういう疑問はないのだろうか?  それに、この文章の冒頭で鈴木前コーチは「やる気のない奴は相手にせん、面倒見切れん」と書いているではないか!なんたることだ。こんな不公平を考えてるコーチがいることがここに証明された。徹底的に糾弾せねばならない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・というわけで、ややこしい話の運びになってしまったが、これは白々しい内部告発である。しかし、こういったことは3年間ずっと考え続けていたことだ。今年で私は京大OLCと接して8年目になるが、オリエンテーリングを本気で好きになった人、同時に速くなるための努力を継続できた人というのは、全部員の2割ぐらいなのではないだろうか。ほとんどの人は、速くなりたいけど、しんどいことをしてまでは、とか、勉強などの方が大事、といった理由で、とことんのめり込むことはない。

 そして、オリエンテーリング、いや、スポーツというものにとことんのめり込んだ私は、なんとかそのような彼らをオリエンテーリング好きにしたい、スポーツに本気で打ち込んだあとの、あのすばらしい世界を味わってもらいたいと願うのだ。やる気のある奴はこちらが努力せずとも勝手にやってるだろう。そうではない、のめり込まない彼らを何とかしたいという方が本当は強い願いなのである。彼らにしてみれば大きなお世話だろうが。

 未だに私は全くの力足らずである。もちろん、その望みは果たせていない。いや、それどころか「面倒見切れない」などとまで言ってしまうほどなのだ。全く、力不足である。全くなっていない。他者との絶望的な距離に、再び打ちのめされるばかりだった。その距離を埋めるだけの、全人格的な力が全く足りないのである。

 コーチの力の不足のためなのか、それともやる気を出さない部員が悪いのか、とにかく、コーチ団は全員に開かれているとは言いがたい。今後のコーチとクラブの最大の課題であろう。


 速くなろうとできる人は、コーチなどなくても速くなる。
 本当にコーチが必要なのは、速くなろうとできない人である。
 私は彼の心の奥底の、何とも言えない悔しい気持ちを開放してあげたい。
 彼がガッツポーズをしてゴールする姿を、私は見たいのだ。
 そして彼は真の主役が誰であるかを知るだろう。
 スポーツとは、そのような場所である。

                    わかりにくく終わり
                    6月6日昼 <ペナルティ91 1992(平成4)年6月掲載>