生きもの登場!! (2001年8月7日受信)
鈴木康史

以下の原稿は10年前に京大OLCの機関誌ペナルティに載せたものです。古いデータを整理してたら出てきました。23歳だったんですね。猫さんたちと同じだな。一読するとギャグですが、言いたいこと言ってるので、まあ、読んでもらいましょう。しかし、パロディは時代を感じさせるものです。当時の2大人気月曜日雑誌、ジャンプとスピリッツからですね。「生きもの登場!!」の引用先はは吉田戦車の『伝染るんです』がメインです。すずめとかかわうそとかかえるとか生きものとかは皆ここから。

後半の「サルおり」は『サルでも描けるマンガ教室(サルまん)』にちょこっと『魁!男塾』が入っています。わかる人にはわかるはず。その他にも、ポワトリンとか、ひびきなみとかが出てきていますね。ひびきなみを知っている人はまずいないでしょう。当時の京大生ならもしかしたら知ってるかな(けど男性限定)。僕も結局は名前しか知らないままになってしまいました。


生きもの登場!!   題名に関する苦情はご遠慮ください

 今回はグレコローマンのはずだったのですが、書くことはあっても、文章にするのがじゃまくさいので、今回も古いネタを使ったフリースタイルです。では、愛ある限り戦いましょう。命燃えつきるまでポコペン。

 第一話 秘伝!《一発の出し方》

 さて、私はかつては非常に(ひびき)なみのあるオリエンテーリングをしていました。その当時から考えに考え抜き、ついにまとまったのが、秘伝!「おならの出し方」です。如何にすれば一発出るのか?本邦初公開。

@「普段は遅くなければならない」

 これが第一の秘訣です。いつも速いかえるが速くたってすずめは一発とは言ってくれません。やはり普段遅いということは一発を出すための必須条件でしょう。読図がうまいなんてもっての他です。かわうそなど、いつもそうです。

A「いらん体力がないといけない」

 コースを走り切るのに充分な体力では一発は出せません。Bを読めばわかりますが、それとはちょっと違った種類の、いわば「いらん」体力がないと、一発は出ないのです。これは、例えばエリートが登りを少しでも速く走ろうとする体力とか、かわうそがコースを走り切るに充分なだけの体力とかとは何か違います。どこかピントがずれていて、肝心なときには切れてしまっていて、しかしいらん所ではガンガン走れてしまう、そんな、まさに「いらん」体力なのです。

B「骨惜しみしてはいけない」

 あなたは下手なわけですから、例えば細かい沢がたくさんあるところへのアタックなどでは、かならずミスするでしょう。エリートが確実に正しい沢に入っていくかのごとく、こういう人は確実にまちがった沢へ入っていくのです。かわうそなど、いつもそうです。あなたはそういうかわうそなのですから、始めから正しい沢に入ることはあきらめて、そのへんの沢すべてを順に昇り降りしてみる、そういうマメさがないといけません。一回アタックして外れたぐらいは当たり前。すぐ立ち直って、根拠もなく次の沢へ走ってゆき、それでもなければ、また猛烈な勢いで次の沢へ。「下手なアタックも数やりゃあたる」を合い言葉に、骨惜しみせずに絨毯爆撃をしてください。かわうそなど、いつもそうです。なお、この時におおいに役立ってくれるのが「いらん体力」なのは賢明なうなぎ諸君であればもうおわかりでしょう。

C「レース後どこを通ったかわかっていてはいけない」

 レース後に事細かにここはこうだったなどと言えるようでは駄目です。かわうそなど、いつもそうです。特にコントロール付近はいつもぐちゃぐちゃと赤線が書きなぐってなければなりません。かわうそなど、いつもそうです。それも、通ったルートをきちんとたどったものではなく、「ここはなんか知らんけどあちこち走り回ったなあ、よくわからんなあ、どうやって見つけたのかなあ?」ということを表す「記号」としてのぐちゃぐちゃの赤線でないといけないのです。かわうそなど、いつもそうです。

D「派手でないといけない」

 性格や立ち振る舞いが派手でないと、一発は出ませんし、出たところでインパクトが小さいです。一発というのは、やはりすずめに騒がれてなんぼの部分もありますので、なんらかの形で常日頃から目立っておくことが大切でしょう。かわうそなど、いつもそうです。

E「つるではいけない」

 これには異論があるかもしれませんが、私は一発の美学として、つるではいけないと感じます。つるで一発を出しても、後がうるさい。スタートで待っていただの、背中しか見てなかったの、挙げ句の果てには、地図を丸めて握りしめていたなどと言われては、周囲に与えるインパクトがどうも悪いイメージになってしまいます。やはりつるなどという近道はせずに、努力して一発を出さねばなりません。地図をちゃんと読んでいても、必ず違った沢に入っていき、それでもめげずに走り続ける、そんな健気な君こそ、一発屋にふさわしいと思います。かわうそなど、いつもそうです。


 第二話 《決して負けない精神力》のつけ方

 さて、精神力というのは大切であるといわれながら、非常につけるのが難しいものです。ここでは、不屈の闘志には定評のあるかわうそが、絶対に勝つことのできる精神力のつけ方、気の持ち方をお教えします。

@「自分を信じる」

 ばってらを信じることは、精神面では一番大切なことです。一点の翳りもなく、自分の能力を全面的に信頼しましょう。大体、人間なんて自分を信じて生活してるんですから、簡単なことです。でも、いくら頑張ってもすずめが信じられない、という人が、もしかしたらいるかもしれません。そういう人は、逆に、自分は信じられないかわうそだ、と信じこみましょう。そして裏目に出るだろうことをやっていけばいいのです。かわうそなど、いつもそうです。

A「すべてを自分の都合のいいように聞く」

 かわうそにとって損になりそうなことにはロバの耳をふさぎましょう。しかし、もし聞いてしまったら、それを自分の都合のいいように解釈するのです。例えば、「お前は下手だ」と誰かに言われたら「また俺のことを妬んでやがる」とか「出るかわうそは打たれる」と思っておくわけです。そして、いざ自分に都合のいいこととなれば、それを最大限拡大解釈することも大切です。これが自信につながるのですから。かわうそなど、いつもそうです。

B「すべては自分のためにあるんだと常に思う」

 地図も、テラインも、天気も、寒さも、ハワイも、ヤブも、体育館も、ボインも、売店も、本部も、救護所も、表彰式も、おすしも、メダルも、宮沢りえのチューもすべて自分のためにあるんだといつもうれしく思っていましょう。それに、もし一見自分のためでないようなことがあっても、考え方を変えてみると、実は自分のためにあるということがわかるでしょう。そうです、世界は君自身のためだけにあります。いつも感謝の心を忘れないように。かわうそなど、いつもそうです。

C「思い通りにいかないことは、すべて認めない」 ←これは重要だ

 レースなどで、生きものに負けてしまったとか、タイムが悪かったとかいう結果に、万が一、なってしまったら、君はその結果を認めてはいけません。思い通りにいかないことは「認めない」。この姿勢は非常に大切だと思います。そこで「あんな地図では、レースにならない」とかごちゃごちゃ言ってはいけません。理由もへったくれもなくとにかく「認めない」という潔い姿勢が大切です。かわうそなど、いつもそうです。

D「常に強がる」

 いくら悔しくても、いくら落ち込んでいても、それを表に出してはいけません。「こんな結果はかわうそですら認めない」と言い切って、堂々としていましょう。しかし、それでもだめなら、最後の手段のIを大声で叫ぶなり、負けた相手全員に直接宣言しに行くなりしましょう。そのうち暗い気分が吹き飛んでくれます。自分が優勝したような錯覚におちいるまでいけば大成功です。かわうそなど、いつも優勝です。

E「裏付けのない自信を持つ」

 自信を持つことは大切です。色々な実績を作って、自信をつけていけばいいのです。しかし、実績が伴わぬ人であっても、裏付けのない自信を持っていれば、まったく恐れることはありません。もしすでに自信を持っている人なら、かわうそに金棒です。自信の素は何でもいいのです。人がすごいと勘違いするような事を適当に捏造して、毎日それを復唱していれば、いつの間にかそれが自信となることでしょう。ただし、この裏付けのない自信というのは、手軽に作り出せる反面、なくしやすいものです。かわうそなど、いつもそうです。そうなると、逆にもともとそんな自信などなかったほうがましだったという結果になりますので、もしそのような場面に出くわしたときには、すでに学んだCの姿勢を貫き通して、自信を保持してください。

F「大きいことを言いまくる」

 引っ込みがつかないようにして、自分を追い込むのです。そうすれば、やらざるを得なくなりますし、うまくいけば、かえる君がそれを聞いて、焦って失敗してくれるかもしれません。よく、テスト前なんかに「俺なんもやってへん」といってかわうそを安心させておいては、いい点数を取るという姑息な奴がいましたが、そんな手段は私は大嫌いです。やってもいないのに「完璧だ!」と言っている方がどれだけポジティヴなことでしょう。大きいことをどんどん言いましょう。

G「勝った姿しか思い浮べない」

 負けた姿なんて想像していてもつまらないので、いつも優勝してるシーンとか、トップでアナウンスされてるシーンとか、くまと一緒に表彰台に登っているシーンを思い浮べていましょう。とっても楽しいですよ。かわうそなど、いつも楽しいです。

H「最後まで都合のいい希望を捨てない」

 例えばレースの時、とことんミスして、たとえ30分後の奴に抜かれていても「全員がもっと大きなミスをしてるに違いない」とか「全員がペナってるにちがいない」と考えられなければなりません。そうして、最後まで自信に満ち溢れて走り抜くのです。がっくりするのはレース後で十分ですし、次の瞬間にはCやIの要領で立ち直っていればいいわけです。なお、「かわうそはもっと大きなミスをしてるかもしれない」なんていう、チンケな考えじゃあなくて、「全員がミスしてるだろう」という稀有壮大なものでないといけないことはゆーまでもない!

I「最後に笑うのは俺だと念じる」

 さて、これは大切です。万が一負けて、いくら都合の悪いことを認めない馬でも、認めないままでは格好悪い時というのがあると思います。格好悪いのはとても格好悪いですから、その時は負けを認めて、「だけど次に笑うのは俺だ」こう言うのです。「今回のかわうそは俺を強くする」と。そして、次負けても、まだ次があります。そこで負けてもまた次があります。負けても負けても、「最後にに笑うのは俺だ」と信じていればいいのです。最後っていつのことだ、と聞いてくるばってらがいれば、ゆったりと微笑んで、「まあ見ててくれくれたこら」と答えましょう。そうすれば、そのうち勝てます。絶対にめげてはいけません。

Jまとめ

 これだけできれば、完璧です。なかでもCの、言い訳なしにとにかく認めない、という姿勢は非常に大切です。これは、単なる自信過剰のかわうそと君を区別するポイントです。そうですよ、自信過剰のかわうそとは違うんですよ、わかってるでしょうね。わからない人は、勝手に俺に負けてなさい。かわうそなど、いつもそうです。

                     これで終わりです。ごきげんよう。

      1990.10.27. Copyright controlled by K.SUZUKI    BGM:音楽


 次回から堂々新連載の予告   次回がいつのことかは知らぬ存ぜぬ

 あの鈴木康史が、2週間の沈黙をついに破る!「なに!鈴木が書く?」「何が起こったんだ?あいつが書くなんて?」「事件だ!!!誰か確かめに行ってこい」「はいっ!!」「また読める・・・あの珠玉の文章が・・・」構想3日、総製作費1億5千万円の超大作!!!「花よりコンタ」を超える堂々のオリエンテーリング技術論がついに世に問われる。その名も

サルでもできるオリエンテーリング教室  愛称“サルおり”    ドドーン!

                                           
      −−内容予告・T−−                        

「今日はエリートになるための条件だ(鈴木高士、23歳)」
「うむ(玉木慶輔、23歳)」
「まずエリートになるためのいちばん大事な条件を言ってもらおう」
「うむ、それなら簡単だ、走力、読図力、精神力だ。この3つのバランスが・・・」
「 (クワッ)ちがーう!!エリートになるための必須条件とはそんなものではなー い!!」 
「じ・・じゃあ、何なのだ??(ゴクリ)」
「それは・・・・三角の爪だーーーーーーっ!!」
「三角の爪?」

サルおりのちょっといい話し

三角の爪といっても、色々な種類があります。上級者になってくると、生まれた時から指先に三角のワクを取り付けて、指ごと先をとがらせてしまう人、1本だけではもの足りず、10本すべてをとがらせる人、レース後に通ったルートを書く必要がないように、赤ボールペンを指先に装着する人など、いろいろな人がいるようですが、あなた方はそこまでする必要はありません。下の図のように、地図を持つ手の親指をピンピンにとがらせておけば良いでしょう。なお、とがらせるときには、まず爪を充分に伸ばしてから、鉛筆か何かできちんと下書きをして、それに沿って注意深くカットし、最後はやすりで研いておきましょう。一番良いサイズは先の角度が120度から150度、飛び出している部分の長さは1.2mmでしょう。(図は省略) 
また1歩、野望に近づいた!


−−内容予告・U−−

「今日はコンパスについてだ(鈴木高士、23歳)」
「うむ(玉木慶輔、23歳)」
「では玉木、コンパスの一番のテクニックとは何だ?」
「何かあるのか。あれは円を書くための・・・」
「おまえはオリエンテーリングのコンパスを見たことがないのかーーーーっ」
「なに、そんなものが・・・」
「そう、これがコンパスだ」
「しかしこれでは円を描くことしか・・・」
「ん・・・これは冗談だ。本物はこちらだ。」
「そうか、これが。(ジ〜ン)ところでこれで使えるテクニックとは何だ?」
「コォ〜ンパス・セェット」
「何、コンパスセット、聞いたことがあるぞ」
(中略) 
「では、コンパスセットをやってみるのだ」
「どうした、できないのか」
「ちんぴょろすぽーん」
「どうしたっ!玉木、血迷ったか?」
「うーーーーっ、鈴木、俺はコンパスセットのやり方をを知らないのだっ!」
「なにっ、コンパスセットのやり方を知らないっ?」
「俺は今までコンパスでは円を描いたことしかないのだ」
「(くわっ)バカモーン!!それでオリエンテーリングができるかーっ!」 
「しかし、リングを回すのは・・・・・」
「何を言っている!そういう時は・・こうするのだーっ!!」 
グゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
「ああっ、リングが、リングが回ってゆく・・・」


コンパスセット

唐代の中国において盛んであった、目隠しをされたまま、急流渦巻く川の上の細い橋を走り切るという競技を源流とする。きちんと方向を定めてその橋を最後まで走り切るためには、卓越した方向感覚と体術が必要であり、その修練は苛酷を極め、頂点を極めるものは5万人に1人とも言われた。この競技を行なう際には、紺色の着衣が義務づけられており、人は彼ら一派を紺派と呼んだ。なお、この競技に使われた方位磁石が、現在のコンパスの原型であり、コンパスセットという名称は、紺派の大成者である崇雪倒(すうせっとう)の名を記念して付けられたものである。

民明書房刊『紺派と崇雪倒−−その大いなる業績と歴史』より

もうこれで1000000000000000000歩、タコに近づいた!

<ペナルティ75 1990年(平成2年)11月掲載>